あの世へ旅立った父と、父を支え続けた人がぼくに教えてくれたこと

桜井のコラム

父が他界しました。


最期の瞬間を迎えたのは、自宅のベッドの上。


真夜中の午前2時すぎ。


最愛のパートナーであった父の妻に看取られての最期でした。


父は、事故で頭を強打したことにより、脳の記憶と言語を司る部位にダメージを負ってしまいました。


晩年は、ベッドと車いすの往復を繰り返す生活を送った父。


肉体的にはこのうえなく不自由だったと思います。


ただ、その一方で、


『忖度?気遣い?そんなもの知らんわ!』とばかりに、ワガママと毒舌をまき散らせるという面で言えば、精神的には自由だったはずです。


腹が減れば『メシ!メシまだか!』


眠たければ『ベッドへ行くぞ!』


ベッドから起きたければ『早く起こしてくれ!』


ただ、ひたすらに自分の欲望を満たすことだけを欲していた父。


そんな父を見るにつけ、


『今の父の脳内には、人のために何かをするという思考はゼロだよな。だとしたら何のために生きてるのか? ただ自分が生きるために生きてるという感じがするし、そうなると、原始的なというか、より野生の動物に近い感じがするよなぁ』


などど、思うこともよくありました。


ただ、それが良いことなのか、悪いことなのか、その結論は簡単には出せませんでした。


なぜなら、


他人に対して遠慮なく好き放題に言葉を発する父に、それを言われ嫌な気持ちになった側からすれば、それは悪となる。


片や。


どうしようもない人間関係のしがらみなどが多い今の世の中で、好きな時に好きなだけ好きなことを迷うことなく言えることは、ある意味で痛快で羨ましくもある。


そう思ったからです。


そんな、私にとってはいろいろなことを考えさせてくれる晩年の父でありましたが、


そんな父に対し、常に溢れんばかりの愛情を注ぎ続け、並々ならぬ献身を以って支え続けたのが父の妻でした。(母ではなく父の妻と表現するのは少し訳ありだから笑)


もちろん、父の妻も人間ですから、ワガママ極まりない父に対して時には怒りを覚えることもあったはず。


それでも、そんな怒りよりも遥かに大きな優しさと愛で父を包み込み続けました。


普通ならば、絶望したり、投げ出したくなってもおかしくないことも多々あったと思います。


実際に、世間では介護に疲れて起こる事件も多いですし、この先、さらなる高齢化社会になっていく日本では、そんな事件も増えていくでしょう。


さまざまな理由から止むを得ず介護を諦めてしまう人もいれば、愛情を持ち続け支え続けられる人もいるという事実。


これは、介護する側(支える側)の人間性や健康状態、経済状況などによって左右される部分が大きいことは間違いないと思います。


ただ、その裏では


介護される側(支えられる側)が、そうなる以前に、介護する側に与えたきた愛情であったり優しさというものも大きく影響していると考えられるのではないでしょうか。


例えば、


ここに、ある一人の妻がいるとしてください。


その妻に、


①自身が元気な時に、妻に対して常に上から目線の高圧的な態度で、まるで召使いのように扱ってきた夫


②自身が元気な時に、妻に対して常に愛情を示し、感謝、敬意、思いやりを持って接してきた夫


このような2タイプの夫のどちらかがいたと仮定します。(かなり極端な例ですが・・)


そして、その後、何かをキッカケに夫が要介護になった場合に、介護する側となった妻はどちらのタイプの夫に尽くしたいと思うでしょうか?


・・・・・

・・・


そうですよね。


ほとんどの人は②の夫に尽くしたいと思うでしょう。(中には①という人もいるとは思います。でも、それは愛ではなく洗脳されている可能性が高い)


なぜ、②のほうに尽くしたいと思うのか?


それは、返報性の原理というものがあるからです。


返報性の原理を分かりやすく言い換えると、


与えられた側は与えられたものを返したくなる


ということです。


愛情や優しさを与えてきた夫だからこそ、妻に尽くしてもらえるのですね。



話を父の話に戻します


父がなぜ、事故の後遺症とはいえ、ワガママ放題の毒舌なのにもかかわらず父の妻に尽くしてもらえたのか?


それは、父が元気な時に父の妻に対して愛を持って接していたからだと思います。


そして、妻自身も元来から愛情深く献身を厭わない人間性の持ち主だったことも、とても大きな要因だと思います。


その2つの要因が重なったことが、


自宅のベッドで最愛の人に看取られて逝く


という、小さくて大きな奇跡を起こしたのだと・・・。


そう思います。


父は幸せだったと、周りの人たちは皆口をそろえて言います。


父とその父の妻が紡いできた喜怒哀楽と波乱に満ちた物語は静かに終幕しました。


この物語から、何を感じ、何を学び、どう活かすかは読者様次第です。


えっ? 私ですか?


もちろん、愛するパートナーに、日頃からしっかりと愛を伝え、感謝の気持ちと敬意を忘れずにいたいと思っております^ ^



どうか、あなたも大切な人を大切にしてくださいませ。


それが、きっとあなたのためになるのですから。



桜井


長めのあとがき


父の死を記事にすることは、不謹慎なのかもしれない。


そんな思いもあったのですが、、


それよりも、父の姿を通して学んだことを文章という形で残しておきたい。


そして、それが読者さまの何かの役に立てるならうれしいし、父も喜ぶだろう。


そう思い、記事にしました。


笑えるような話題ではなく、つまらないと感じる読者様もいらっしゃるかもしれません。


桜井自身もおふざけが得意なので、こういうメランコリックなお話は少しむずがゆいのですが、、(^◇^;)


でも、お世話になったり、お世話もしたり、いろいろな感情を味わせてくれた父への思いを文字で残せたことは素直によかったと思っております。


人はみな誰かの息子であり、娘です。


そして、親というものは、確実に自分よりも早く老います。(あたりまえですが汗)


ということは、ほとんどの方が、多かれ少なかれ、年老いた親の面倒を見ることになります。(形はさまざまですが)


10代、20代の読者様にはまだまったくピンと来ないでしょう。(それが普通ですからね^ ^)


30代、40代の読者様にとっては、少しずつ現実味が出てくるでしょう。


その時がきたら、しんどいこともたくさんあるけど、介護する側、される側にとっての最適解を見つける努力をしてくださいね。


絶対的な正解なんて誰にも分からないけど、きっと最善の道はあるはずですからね。


話がそれまくりました。汗


この記事の最後に、これだけは伝えさせてください。


あなたが、これから先の未来に、結婚をしたいと思っているのなら、、


結婚相手選びを間違えないでください。


選んだ結婚相手によって、あなたの結婚生活も、その先の人生も、全てが変わってきます。(相手に対するあなたの態度や振る舞いによる影響もとても大きいことは言うまでもありません)


良い相手を選べば良い人生に、悪い相手を選んでしまえば悪い人生になります。


それらは直結しています。


そうは言っても、誰も結婚する相手を間違えたくないですよね?


間違えたくなくても、結婚したあとで間違えたことに気付くのも結婚です。


このあたりついては長くなるのでまた別の記事にて、詳しくお話しますね。


あとがきにしては長くなりすぎましたので、今回はこのあたりで(^^)


最後までありがとうございましたm(_ _)m

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